2014年3月17日月曜日

住宅についての新しい概念。

住宅について思っている事。

年金不安や経済の見通しの不安を考えると、又、子供達の未来を考えた時、人生のうちで最も高い買い物である住宅を単なる住む場所と捉えていて良いのだろうか?と最近感じている。

私の家は2階に生活スペース3階に寝室という作りにしてあり1階は時期によって使い方を変えられるよう作られている。
今は子供が小さいので1階は応接兼客間の和室、書斎、納屋、土間というゆったりした使い方をしているがそろそろ物要りになるので収益をあげられるよう、和室を下宿部屋、書斎は事務所、納屋や土間は教室や店舗に用途を変えようと考えている。

子供が独立した頃には親を1階に住まわせるかもしれない。
また3階の子供達の小さな寝室(それぞれ2.6畳の、寝るためだけの部屋)は間仕切りを取り払いゆったりとした夫婦それぞれの寝室に変更できるようにしてある。

更に将来は長男夫婦が2,3階に住み私達夫婦が1階に移るつもりだ。できればそこで死ぬまで面倒をみてもらえたら、と思っている。

住宅の建設を、収益の上げられる設備への投資として、また何世代もが使う財産として考える。家を住むための箱としてのみではなく、もしかしたら自分達で収益をあげられるかもしれない不動産として捉えてみる。また、家族や親せきは場合によって労働力となる可能性に気付く。
すると住宅にかけるお金は、単なる消費から将来投資へと変貌する。ならば住むだけのために建てる、1世代で住んで壊すという、日本の住宅文化を改め(というより昔に戻し)、丈夫で長持ちするようコストをかける気になり、住宅の質、街全体の資産価値も上がる。

住む場所と働く場所が同じなら、交通費や通勤時間が節約できる。
家族が働いた分は家族に還元される。

そのための一つアイデアがある。家族やその友人、近隣住民が持つ特技を先程の教室で生かすというものだ。教える人になってもらいお礼を支払う。習いに来た人は、先生ありがとうと言ってお月謝を払う。

下宿、と先程書いたが、これについてもアイデアがある。住んで貰う人は大学生。(あるいは留学生でもよい。)
受験後の人生で一番知識が頭に入っている人に、教室で塾の先生をしてもらう。下宿生はバイトを探さなくていい。自分で稼いだ分で家賃を払ったり旅行に行ったりする。教えて貰う生徒達は、先生ありがとうと言ってお月謝を払う。

このアイデアは家族にとってもプラスになる。子供が受験生の場合はもちろん、そうでなくても他人との触れ合いや異文化の体験につながる。
友人や近隣住民も潤い、必要なサービスを受ける事ができ、情報交換が活発になる。

こうして自分の周りの人たちがそれぞれの需要と供給を埋め合い経済が周る。そのような場を提供できる住宅があったら素晴らしいと思う。

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