2014年8月20日水曜日

夏を快適に過ごす。

毎年お盆の頃になると蒸し暑さに耐えきれずエアコンで冷房をかけます。

それ以外の時期はエアコンをつけなくても割と涼しいので家に付いている窓という窓を開けて自然の風を通して過ごしているので、窓を閉め切って冷房をかけて過ごすと涼しくて気持ちいい反面、空気が動かない事に違和感を覚えます。

エアコンを使う以外に扇風機や団扇を使う事もありますが、やはり自然の風の心地よさには勝てないと感じてしまいます。

私の家はお風呂と洗面所のある地下、客間や土間、納屋(作業場兼犬の居場所)、書斎のある1階、居間や食事室、キッチン、家事室、勉強部屋のある2階、寝室のある3階の4層で構成されています。

そうなったのは敷地が斜面地で、まともに建物を建てられるフラットな土地が限られており、ワンフロアの平面を小さくし、建物を地下に沈めて斜面にせり出す形にせざるを得なかったためです。

フロアの数が多い事は欠点があります。家の中で重力方向に移動することが多くなるので体力を使います。

例えば寝室のある3階からお風呂のある地下に移動した時、寝室に着替えなどの忘れ物をしようものなら、4フロア上の階まで階段で戻らなければなりません。高齢者のための住宅は平屋が良いと言われる理由が住んでいて身をもって理解できます。

しかし、夏を快適に過ごすという観点から見ると、地下を持つこの多層構造は優れているかもしれません。

家の南の斜面は雑木林になっていて真夏でも木陰を通った涼しい風が海の手の斜面下方向から吹き上がってきます。その風を地下の洗面室の窓(厳密にはドアに内蔵された上げ下げ窓)から家の中に取り込みます。我が家の階段と廊下は家の中心にあるので上階の窓を開けるとその冷たい空気が引っ張られ、上へ上へと上昇します。

2階の居間は吹き抜けになっており、3階の寝室や廊下の窓や天窓から温まった空気はどんどん屋外に抜けていくので家全体に空気の対流が起こります。風がない日は居間の吹き抜けに取り付けた換気口から温まった空気を吸い込み機械的に排気して空気の対流を作り出します。

真夏に寝室で昼寝をしていると、どこからともなく涼しい風が肌に柔らかく当たるので、気持ちよく寝付く事ができます。

昔農家のおばあちゃんの家の縁側で風にあたりながらお昼寝をした時の、快適で幸せな気分を思い出します。

お盆の頃に耐えきれずエアコンをつけてしまうのは湿度のせいです。いくら空気の対流を利用して家の中に風を通しても、入ってくる空気自体の湿度が高すぎると不快に感じてしまうのです。

このように夏(実際は冬も)熱的快適さを求めたのは、私が暑がり(そして寒がり)だからです。
以前まではコンクリート造のマンションに住んでいましたが、そのような体質の私にとってとても不快な環境でした。6月頃から冷房をつけ残暑が去るまで冷房に頼りきりでした。

コンクリートは昼間に日射による熱をため込み冷房をつけっぱなしにしていてもなかなか冷えてくれません。(当然冬は逆の現象が起こり暖房の効きが悪い。)

今の家は木造で通気工法によって外壁の中に空気を通し、屋根の下の空気層を介して棟で排気しているので、コンクリート造の建物のような嫌な蓄熱が無く、エアコンの熱負荷が小さくなるよう設計されています。

私のような暑がり体質の人間が、日本で夏を快適に過ごすには、このように並々ならぬ工夫と努力が必要なのです (^^; 。

*冬を快適に過ごす。については、冬が来たらまた書いてみようと思います。



2014年8月15日金曜日

ルイス・カーン の エシュリック邸

僕の好きな建築家の一人、ルイス・カーン。とても有名な建築家で公共の大きな建物をたくさん設計した人ですが、僕はその作品の中でも個人のための住宅が好きです。

特に好きなのがエシュリック邸。今も僕のデスクの横に写真を飾っているほど好きな作品です。




建物自体もさることながら、この小さな建物が建つ環境が素晴らしく建物をひき立てています。

外壁の仕上げには、他のカーンの作品にもよく見られる木を使っています。
外壁材には石やレンガ、タイル、塗装など色々な材料がありますが、木材はその素材そのものが持つ豊かな風合いによって優しい感じを見る者に与えます。

厳密に言うとこの作品で木が使われているのは外壁ではなく開口部です。開口部というと窓を想像しますが、この作品では開口部を板戸とし、閉めている時はまるで外装材のように見せています。

すっきりした外観を実現するため、よく考えられた単純化された内部プランになっていて、感心します。
建築の設計をやっていると同じ空間の大きさ形でもごちゃごちゃした平面になってしまう時と、綺麗で単純なプランがうまくできる時とがあります。
原因の一つは動線のまとめ方だと思います。この住宅のように玄関や通路が家の中心部分にあると、その周辺に必要な部屋やスペースをうまくまとめることができます。
これまで私自身、自分の家の設計や仕事での様々な建物の設計をする際、そのような考え方を生かしてきました。

天井の高い居間の空間ボリュームは、人がリラックスするのにちょうどよいボリュームに感じます。
一度訪れて実際の空間に身を置き体験してみたい衝動に駆られます。

参考
http://f-aa.co.jp/ideablog/?p=2513

204 Sunrise Ln, Philadelphia, PA 19118アメリカ合衆国
http://goo.gl/maps/AflCq

2014年8月10日日曜日

台風に備える。

台風が兵庫県に上陸しました。普段忘れている自然の驚異をこういう時思い出します。

我が家は斜面の中腹に建っています。設計当初から風が強い場所と分かっていたので、
地震に対しての強度を構造計算によって確保する通常の設計に加え、風圧に対しても配慮する必要があると考えていました。

最近の木造建築は地震力を弱めるため、金属屋根などの軽量屋根を採用することが多いのですが、強い風が吹いても屋根が吹き飛ばされたり家自体が浮き上ったりしないように瓦屋根を採用し、瓦が飛ばされないように施工方法も特殊なものを採用しました。

その結果屋根が重たくなり風に対して建物が安定する反面、建物の重量が大きくなったり、荷重バランスが建物の高い所になるため、地震力に対しての耐久性を確保するために柱や梁の断面を通常より大きくする必要が出てきます。

建築コストを予算内に収める事と建物の安全性の両方を満足させるのは大変ですが、自分の子供や孫の世代まで耐えられる建物にし、建築コストを建物の耐用年数で割った単価を下げるという観点に立ち自分が納得できる仕様にしました。

↓今日の屋根の状況 メンテ用の出入口を兼ねたトップライトから顔を出して撮影。

2014年8月9日土曜日

最近感じたこと。

ここのところ、結婚式で東京に行ったり、仕事でグランフロント大阪に行ったりして、最近の商業建築を見て感じる機会がありました。東京では6つ星ホテルのマンダリンオリエンタルに泊まりました。

ここ数年の建築デザインの進歩は目覚ましいものがあります。使われている材料、色、製品がほんの少し前にできた建物と明らかに違います。僕が感じるままを端的に書くと、まるでCGの中を歩いているような気分になります。

空間が設計や施工の段階でコンピューターによってあらかじめ細部まで計算されつくしています。
今まで建築の中に置いてあるのが普通だった映像モニターなどの設備が美しく建築に組み込まれ一体化し、設備が建築そのものになっているのです。

また、アルミ製品が進化を遂げ、これまで費用をかけステンレスでオリジナルを製作していたものが、どんどんアルミの既製品に置き代わっています。

家具や建具なども製作ものから気の利いたデザイン性の高い既製品が用いられ、細くシャープな表情に変わってきました。あるショールームで驚いた事があります。屋内で使う建具の枠は従来木を使うことが一般的ですが、そのショールームでは見付が5mm程のアルミの無垢板を使っていました。びっくりするほどシャープなデザインでした。

LEDの普及・汎用化も予想以上に早く、サインなど今まで無骨だったものが、薄くスッキリとしたデザインに変化していて、サインが建物のインテリアや照明の要素になっています。

パナソニックのショールームのエントランスでは、最新の大きな薄型モニターにセンサーとコンピューターを使い、訪れた人の映像にコンピューターグラフィックスによって描かれた魚がついてくるといった面白い演出がなされていました。

そのような新しい商業施設や街を歩いた帰りに少し前にできた所を通ると1つ1つの要素が古臭く感じられる程の日進月歩。この変化についていくのは大変なことです。

今まである一定規模までの建築の設計は、分業が当たり前の他の製造業での設計と異なり、全ての範囲を1人の設計者がなんとかかんとか把握し組み立てられるという大変さと良さがありました。

しかし最先端の建築においては、まるで自動車を設計するように各部分をその専門家が担い、
建築家はそれを取りまとめる役目にまわらなければ他を超える新しい作品は作れそうにありません。そんな時代に取り残されないよう知識や技術を高めなければ、という気持ちになる反面、そんな事が自分のやりたいことなのか?という疑問も正直抱きます。

技術や文明が進化しどんどんハイテク化していく流れに逆らう訳ではありませんが、CG化した建築物で過ごす事が、我々が扱う「人間」にとって本当に快適で心安らぐのか?という疑問を感じてしまうのは僕だけでしょうか。

以上、 最近感じたこと。 でした。