2015年6月7日日曜日

個人が持つネットワークについて

インターネット社会になり世界中の国や人と繋がれる時代になりました。つい最近まで芸能人や有名人しかメディアに登場しなかった時代はアッと言う間に変化し誰もが一瞬で情報発信でき、まるで人類皆タレントのようにネット上で自分をアピールしたりプロモーションしたりできるようになりました。経済はグローバル化し、情報や物、マネーが世界中を行き交います。地球の裏側で何かが起こると直ぐに世界中に影響が現れます。

そんな時代に自分や子どもの世代はどう生きていくべきか、ふと考えてしまう事がよくあります。というより考えずにはいられない、と言った方が正確かもしれません。

先日僕は25年振りに中学高校時代を過ごした場所に行くという、普通の人にはあまりない体験をしました。当時そこに住んでいたわけですが実家は卒業と同時に引っ越したので今は無く、同級生の自宅に泊めてもらいました。

久しぶりに帰ってくる奴がいる、と同級生が集まり、中には高校卒業以来初めて再開した仲間も沢山いました。

SNSを通して僕の最近の事を知っている人以外はお互い卒業後どうしていたのか全く知りません。
飲み会の席で隣に座った近藤君という友人もその一人でした。彼も僕も当時はサッカー部に所属し仲良くしていました。卒業以来というのに会った瞬間当時と変わらぬ関係で話ができ、同級生とは不思議なものだと感じました。

彼が僕に、お前建築関係の仕事してるらしいな、建設会社か?と聞いてきたので、いや違う設計事務所だと伝えると暫く考えて、えっ、設計してんの、俺丁度今家建てていて竣工したとこよ、もっと早く知ってたら設計お願いしたらよかったな、と言いました。

僕ははじめに書いたように、これからどのように働いて行こうかと考えている所です。そしてこの会話をした時、
そういう事か、と感じました。

話を進める前に、同級生と話をして気が付いた事があります。はじめは分からなかったのですが時間が経つにつれ、普段付き合っている人と、彼ら同級生とは自分も相手もまるで違う感情を持って接しているという風に感じはじめました。
同級生という若く自由でまだ子どもだった時代の友人は、例えば社会人になってから付き合っている友人と比べるとお互い警戒心がなく気を使わずに自然に話ができているという事、また問題を抱えている友人に対しては心から応援したくなるような感情になる事などに気が付いたのです。

普通、仕事は報酬のために会社や個人を相手に行います。仕事を契約通り実行しそれにより会社の経営が成り立ち会社から給与や報酬をもらって社員も役員も生活ができます。

若いうちはその事に疑問を持つ事はありませんでした。働き給料をもらう。そのために時には文句を言われたり怒られたりし、謝ったりグッとこらえるのは仕方の無い事、当然の事と思ってきました。しかし40を過ぎ段々自分で設計自体をするよりマネージメントやクレーム処理、経営などの業務が増え、これから働ける時間があと何年あるのか、あと何棟の建物を設計できるのか意識し始めた時、心を込めた仕事を誰の為にすべきか、限られた自分の時間をどのように使うべきか考えるようになりました。

近藤君の言葉を聞いた時僕が感じたのは、残念、もっと早く会っていたら仕事が取れたのに、ではありません。
折角彼の力になる機会があったのに遅かったか、という感情でした。

つまり僕が探していた、どのように働くべきか、という問いに対する答えの一つは、「大事な誰かのために働く事」なのかもしれない、と思ったのです。

通常の仕事ではなかなかそのように考えるのは難しい事です。ほんの小さなミスを大袈裟に責められ設計料を値切られたり文句を言われたりする事もあります。それはその仕事が契約だけの関係だからではないかと思います。勿論そうではない仕事も沢山ありますが、残念ながら全てではありません。人間関係ではなくビジネスで仕事をしている以上仕方の無い事です。ミスをすればペナルティーが課せられるのは当然ですが全ての評価が0点になるというものではないと思います。

同級生のようにお互いを認め合い、こいつの力になってやりたいと思って心を込める、それに対し、どうもありがとうございました、ではなく、サンキュー!と言ってもらえるような関係の中での仕事にこそ自分の才能と努力を注ぎ込む価値があるのではないか、と感じた訳です。

インターネット社会にあってその恩恵を上手く活用しながら、個人のネットワークでローカルな仕事に打ち込めたらいいな。個人のネットワークの中に頼める人がいたらその人に仕事を依頼する。仕事を与えたり与えられたりできる仕組みができれば、その仕事に感謝し合える可能性があるのではないでしょうか。

そのような恵まれた仕事だけで暮らせるとは思いませんが、自分や友人のネットワークを大切にし、そのネットワークに何らかの形で関係している人のための仕事を1つでも作り合うことができたらいいな、と思います。

そのためには今誰がどこでどんな仕事をしているか、また誰がどんな助けを必要としているか、どんな仕事を誰かに託したいと思っているのかという情報が共有される必要があります。また量を確保したりネットワークを広げていくために友人の友人、友人の親戚など間接的な繋がりも大事になります。
直接の友人ではなくても友人からのRecommendationが有れば、きっと上手く行くのではないかと思います。


ライフマネージメントと設計

今は2015年6月6日23時45分です。今日は土曜でしたが朝から今まで家族との時間、家での仕事、会社の仕事と忙しい日でした。しかしアイデアというものは寝たらすっかり忘れてしまう事がよくあるので、体に鞭を打ってでも今日のうちに書いてしまおうと思います。
今日のテーマ、実はぼんやりとは前々から考えていました。昨日、最近親しくなった銀行マンとお話をしているうちにだんだん考えがまとまってきました。

その銀行マンに前回お会いした時、僕はこんな事をお話ししました。

僕は設計事務所で建物の設計をしています。自分の家も設計し今そこに住んでいます。お客さんの家を設計している時は気が付かなかった事が沢山分かりました。マンションや建売を買う場合と違い注文住宅を建てるには資金を調達するのに多大な時間と労力を使う事、建物の登記や税務所への手続きも面倒で費用もかかります。
いつどんな手続きが必要かまるでわからないまま自分で調べたり銀行に言われる事を言われた時に行うという状況でした。建築費をいくらまでかけるのか、自分のしたい事のうちどれだけを実現しどれだけを将来にまわしどれを諦めるべきか悩みました。
建物が完成し喜ぶのも束の間、住宅ローンの支払い、固定資産税、団体信用保険や火災、地震保険、セキュリティー会社への支払いなど想像以上の家に関する出費が追いかけてきます。今まで多くの方々の家を設計させてもらって来ましたが建主さんのそのような苦労を詳しく知る事もなく、お客さんが提示した設計条件を満足しさえすれば良いと考えていました。でもこれからは設計に取り掛かる前にせめて銀行の手続きくらいはこんな流れでスケジュールはこうなりますとか融資の枠をこんなタイミングで確認しておきましょう、くらいは説明してあげたいので簡単に資料を作って頂けないでしょうか?もし作って頂けたらそれをお客さんにお渡しして説明し、場合によってはそちらの銀行でローンを組まないか検討を勧めますよ、とまぁこんな感じの話でした。

そして昨日、その銀行マンがお願いした資料を作って持って来てくれたのです。

話は更に広がりました。一般的に住宅は生活して行く上で出費の面でかなりのウェートを占めるものです。そもそも住宅を建てるのは家族が幸せに生きて行くためなので、住宅を維持するために苦痛を伴う事は目的に反します。だから住宅を考えるより前にまずライフプランを考えなければなりません。
一体住宅にかける費用、いいえ、住宅に関連するあらゆる事を含めた費用をいくらまでにすべきか、一家の収入と出費をベースに真剣に考えなければなりません。また家族の余暇や趣味のための予算、将来のための預金の枠も確保しなければなりません。そうやって算定した住宅関連予算を工事坪単価で割り算し出た数字が建てるべき建物の大きさになります。
もしその大きさが、自分が住宅に求めている事を盛り込むのに小さ過ぎる場合、何か条件を変えなければ無理が生じる事になるでしょう。収入を増やすのか、習い事を減らすのか、或いは建物の仕様を落とすのか。こんな考え方もあります。駐車場や貸し店舗などを住宅の内外に組み込みそこからの収益をローン返済に充てる。子、孫も住める家にし返済プランを立ててみる。
とにかく帳尻が合うまで自分の求めるライフプランが成立するよう諸条件を調整する必要があります。この作業を設計者が手伝いアドバイスできれば建主にとってこんな心強い事はないでしょう。
こうして納得した上でいよいよ設計の打合せに入って行けば心配がなくスムーズに計画が進むでしょう。また建主は設計者を信頼しアドバイスを聞いてくれるでしょう。
ところが設計者は忙しく、また税などのお金の事は普通専門外なのでそこまでの事を一緒に考えてあげる余裕がないのです。だから税なら税、ローンならローンについて税理士や銀行の専門家と提携しない事には実現が難しい。
という話になりました。

どんな分野もそうなのかもしれませんが、トータルでサポートをしてくれる人や会社って意外といないものです。
優秀な専門家は沢山いるのにお客さんの事を愛情深く、友人のように思い細かい所まで、長い人生の先まで一緒に寄り添い考えてくれる。そんなサービスがあればどんなに感謝されるでしょう?

僕はそれを目指したい。そのためには優秀な専門家を仲間に持つ必要がある、という話でした。